台湾の後は日本に戻らずそのまま南下をつづけるので、郵便局からジャケットや靴など荷物になるものを日本に送る。今晩は妙ににぎわっている淡水で、新郎新婦主催のNYやパリや日本など遠くからやって来たともだちやご家族を招いてのお食事会。レストラン紅楼は、丘の上に建つ眺めのよい赤レンガのコロニアルな建物にある。この建物がまだ改築される前、なんとほそきさんはここをアトリエに作品を制作し、展覧会までしたことがあるので、僕も写真や話でなじみのある建物。前にも来たこともある。今日一番の発見はほそきさんの横に座るなにか時空を超えて壮大な雰囲気をもつ女性。ゆっくり話しているうちにわかった。僕らが存在を知らなかったみおさんのもうひとりの妹さんだった。考古学の仕事をされているとのこと。納得。この3姉妹、映画のためにキャスティングされたような3人で見ているだけで面白い。食後、ほとんど初対面のみなさんと車やタクシーや電車に分乗して川湯温泉に行く。初対面でもここに一緒に来るとなんか親しくなった気分になる。僕らだけ新郎新婦に車で送ってもらう。へへへ。
December 2005アーカイブ
台湾がまだアメリカと国交のあった頃には大使館として機能していた中山北路にあるこの洋館、いまは侯孝賢が経営を任されている映画施設SPOT。ほそきさんとお茶を飲んでDVDを買う。僕はちょっと迷ってやっぱりマギー・チャン主演のDVD『CLEAN』にする。せっかく中山北路にいるので、お昼は青葉で芋粥に青菜。それより今晩は台北でのメインイベント、みおさんとYGMの結婚式。新郎YGMにはロンドンでのAssorted Asian Tigers展に作品をだしてもらったこともある台湾を代表する作家。みおさんはこのhome-roomでもブログを書いているmioさん。招待状の住所にあるビルのドアを開けてみると、いきなり結婚式会場なのでちょっとびっくり。正面には大きなスクリーン。受付でサインをし、ご祝儀は舜龍にアドバイスされた通りの縁起のいい金額。招待客のみなさんはいろんな格好をしている。結婚式らしくドレスアップしたひとに、Tシャツのひと。最前列のテーブルに座るおねえさんはフードパーカーにリュックを背負ったまま座ってお食事をされている。みんな自由に祝うために集まっている雰囲気が素晴らしい。催し物は盛りだくさん。京劇に、新郎の両親によるジルバ。なにより素晴らしいのは正装の中華服がくやしいほどお似合いのYMGと着物姿のみおさん。さすがべッピンさんのみおさんは女優の結婚式のように美しい。式の後、新婦みおさんにROOM AIR展でイーリーキシモトのユニフォーム姿でスチワーデスをつとめてもらったIT Parkでの二次会にちょっとだけ顔をだす。そこで思わぬ再会ができた犬の作家Peng Hung Chihとバンコクの展覧会の話をしているうちに出展してくれることに。主役たちが現れる前に今晩は失礼することに。みおさん、YGM、おめでとう。
わ〜い。朝、こどもたちの声で目が覚める。ここがこどもの絵画教室だったことをすっかり忘れていた。高い声のこどもの中国語はとてもかわいい。下からの香ばしい匂いとこどもたちの声に誘われて階段を降りていくと、カウンターのあるキッチンでほそきさんがコーヒーを入れている。モーニングコーヒーなんかを楽しんでいたら、教室から子供が3人飛び出してくる。どうも僕らに、水をくれ!と言っている。僕の飲みさしのペットボトルを差し出すと、笑いながらもうけとってくれない。水道の水をコップに入れてあげても飲まない。しびれを切らした3人は教室へ先生を呼びに行く。訳も分からず連れて来られた先生は、カウンターの奥でたむろする寝起きの日本人たちを見つけて思わず失笑。きれいな先生がきれいな水を入れてあげ、こどもたちも満足気に教室に戻る。僕らは、ほそきさんが世界一高いビル台北101に行こう!というので、それも悪くないなあと電脳街経由で、珍しく観光とかしてみる。エレベーターも速い!帰りは観光らしく小龍包を食べる。そして一日の終わりはもちろん陽明山の川湯温泉。う〜ん、薄々気はついてはいたけれど、フィンランドのサウナとバンコクのマッサージに続き、台北の温泉。もしかしたら、これはちょっとした快楽の旅なのかもしれない。
ほぼ一年間もごぶさたしてしまった台北。ほそきさんは一晩早くパリから到着している。髪の毛がワイルドに伸びている、結婚式行くのに。それでもほそきさんは台北が似合っている。なぜか自然と自信にあふれている感じがする。舜龍の陽明山の家はもうなくなり、今回は天母のDADAの2階に泊めてもらう。DADAは舜龍の子供絵画教室とパブリックアートの会社を兼ねるスペース。2階が現在住居になっている。陽明山の家がないのは残念だけど、僕らの台北での行動を考えると天母はかなり便利。すでに天母にはもうこどもの頃に親戚の家に遊びに来たときのようなちょっとした懐かしさがあり、自然と高揚してしまう。とはいってもここはノスタルジックな感じの街なんかではなく、アメリカ人や日本人の派遣社員家族が好んで住み、高島屋やそごうがある台湾の匂いが一番しないエリア。レスト後方に陽明山を臨む天母棒球場に歩いて行けるというだけで贅沢。裏山には川湯温泉をはじめ、24時間営業している温泉がたくさんある。最初の夜は海のある街へ遠出する。野良猫を連れて、台湾人と日本人の40過ぎのおっさん3人。怪し過ぎる。
成田に着いてから台北行きのフライトまで6時間ほどあるので、空港近くにホテルをとり、お風呂に入ったり、テレビを観ながら荷物整理。さすが空港ホテル。空港にあるような荷物を運ぶトロリーがホテルのロビーに置いてあって、部屋まで持ち込める。すっかり忘れていたけど、大阪のよみうりテレビの「なるトモ!」が東京でも本当にやっている。なるみの司会は女子アナとはレベルが違う。安心して任せられる感じ、関西出身の視聴者として。調べてみると、全国放送ではなくて東京、名古屋、広島、熊本で放映しているらしい。実家から成田に送ってもらった東南アジア用の箱とヨーロッパからのスーツケースを部屋で広げる。Tシャツや結婚式用の革靴とジャケットをスーツケースに補充し、ノルウェーで役立ったフードの大きなパーカーや厚手のシャツ、そしてヨーロッパから持ち帰った資料などを箱に詰め、日本の倉庫に送る。荷物を代えるだけで、洗濯をしたり、食器を洗うよりもさらにリフレッシュした感じ。6週間振りの日本も、暑いのか寒いのかわからないまま南国に逃げる。そろそろきっと寒いに違いない。
まだ雨の残る早い午後、バンコクに到着。空港で荷物を預けてトンローのマックショップに向かう。タイ語のキーボードのPowerBookもかわいいけど、台湾でも見てみることにする。マック台湾でつくってるしね。先を急ぐことにする。時間がない。散髪をする。時間ない。急いでマッサージに駆け込む。うとうとできて気持ちよい。頭すっきり、スティーとのミーティングにシラパコーン大学の先生方の行きつけのレストランへタクシーで向かう。バンコクの市内横断には時間がかかる。1時間乗ってメーターがどんどん上がっても300円を越えることはほとんどないので、安心してまたうとうと。着いてみると、その日のレストランは誰かのお誕生会会場。展覧会のことで解決すべき問題がたくさんあったはず。知らぬうちに解決している。きつねにつままれたようなままドンムアン空港行きのタクシーに乗せてもらう。
朝、街で舜龍に薫製を買って、みおさんにチーズスライサーを買って、観光局のために日本人観光客のモデルをする。午後、電車でフランクフルト空港に向かう。ひとりでスーツケースが3つもあるので、従兄弟が電車の中まで荷物を運んでくれる。ラッキーなことに帰りのタイ国際航空はあたらしいエアバスで、カプセルのような真横になれるシート。これから少しのあいだ横になれないので助かった。
朝、歯をみがきながら窓を開けて外を見ると、オペラハウスの隣のホテルに泊まっている坂本さんがホテルで写真を撮られている。おはよ〜!ツアーのみんなは車と飛行機を乗り継いでロンドンに向かう。僕は電車を乗り継いでアイゼナに戻る。夜は家でカーラとテレビでレコード大賞を観る。少年ゴスバンドTOKIO HOTELが新人賞をもらい会場でも家でもブーイングをうける中、カーラと一緒によろこぶ。
ケムニッツにでかけるのでとりあえず駅に行く。きょうは大規模なネオナチとアンチ・ネオナチのデモがある。ネオナチもアンチ・ネオナチも両方怖い。連れている犬もなかなか怖い。警察もそれより怖そうな警察犬を連れてネオナチとアンチ・ネオナチの間に入る。モーゼの十戒のように切り開かれた道を通り駅に辿り着く。ドレズデンで乗り換えて、ケムニッツの駅からすぐのホテルにチェックイン。社会主義時代のなごりあるホテルが改装されている感じのホテル。ちなみに紹介されたとなりのレストランはカフェ・モスクワ。でもフトンもふかふかで快適。実はこの街、20年ほど前に来たことがある。東ドイツ時代にカールマルクスシュタットと呼ばれたこの街のその名前に惹かれて、駅までやって来た。まさか、この街に坂本龍一とカーステン・ニコライのワールドプレミアを観るために戻ってくるとは思わなかった。ホテルの部屋から真っ正面に見えるオペラハウスで今晩ライブがある。まだ時間があるので、街でも有名な市営のお風呂に行く。30年代の建築が美しい。天窓から光の差し込む真ん中にあるお風呂は温度も低く、大きめなのでプールっぽい。サウナに入ったり、泳いだり。週末なんで横では裸に浮き袋の子供と裸の家族が遊んでいる。やっぱり慣れないこの遠慮のない混浴の風景。でも電車で座りつづけていた後なので、お湯のプールかお風呂かよくわからない温かい水たまりで潜水するとからだが伸びてきもちいい。お風呂をあがり、オペラハウスに向かう。群がる紳士淑女の中で、パーカーとジーンズにスニーカーの僕は限りなくういている。舞踏会にひとり何も知らず来てしまったらこんな気持ちになるのだろうか。オペラハウスなので上品に「今晩公演あり」とだけ垂れ幕がかかっている。ポスターも貼っていないし、手元にチケットもないので、僕の観に来たライブは本当にこの街なのか不安になる。中に入ってフレンドリーな対応に救われるものの、こんな感じだとは思ってなかった。開演時間になるとステージにはケムニッツ市長が現れる。この街出身のカーステンはみんなの誇り。こんな地元があるのはすばらしい。ステージの坂本さんもカーステンもごく自然な姿がよかった。ビジュアルもよく、最初から最後までほんとうに集中しながらもからだ中に響くように静かに聴けた。観客がたのしんで聴いているだろうと感じることができた会場の雰囲気がなによりよかった。ライブの後は、カーステンと地元でレーベルを続けるオラフがビール工場を改造してできたという郊外にあるクラブにみんなで向かう。ラフな感じが昔のベルリンのよう。カーステンの両親やオペラハウスの装いで気にせず来ているというのがなんともよい。1階のダイニングでは食事が用意されている。地方都市でも夜遅くまで外で愉快になれるのはうらやましい。全然違うけどちょっと宇和島みたい。
従兄弟の家は街中の建物の最上階とその下のメゾネット。上の階が建築家の従兄弟の事務所になっている。僕はそこに部屋をつくってもらって寝ている。ここのバルコニーからの眺めはすばらしい。旧東ドイツの街並は建物も中世のようなものが残っている。世界遺産のヴァルトブルグ城も裏山から森を抜けて歩いて行ける。下の部屋には、いたるところに日本語が貼ってある。子供たちが日本語の勉強をはじめたらしい。電車が好きだったダニエルは、赤ちゃんのころから鉄道用語だけは日本語で知っていた。遮断機とか臨時列車とか通勤快速とか。カーラは紙に「森」と書いて見せてくれる。3本の「木」がそれぞれかなり個性的。そして今日は、山とは反対の方向のタイの食材屋に買い物に行く。オランダから新鮮な野菜がたくさん届く日らしい。帰りはヒルデガが店番をしているバッハの生家の前にある店に寄る。日本語でイラッシャイと出迎えてくれる。家ではハローやのに。
フランクフルトで特急を乗り継いでアイゼナに従兄弟の家族を訪ねる。この家族もデュッセルドルフから引っ越ししてきてもう10年。従兄弟とダニエル・ゴウには今年日本で会ったけど、ヒルデガとカーラ・サヤは3年振り。カーラ・サヤはもう11歳。前に来た時は四六時中、カメラで僕を撮影していた。今回はホステスのようにやたら飲み物を注いでくれる。最近はTOKIO HOTELという少年バンドに夢中のようす。ダニエル・ゴウの部屋はAVの修理屋みたいにビデオカメラが並んでいる。そして、VAIOでgoogle earthを見せてくれる。Mac バージョンもそろそろでるらしい。今度はカーラがTOKIO HOTELのポスターだらけの部屋から薄汚れたスノーウィーのちいさなぬいぐるみを持って来る。これ覚えてないの?という顔をするけどわからない。カーラがまだ赤ちゃんのころに僕があげたらしい。言われて思い出した、ロンドンのコベントガーデンのタンタン・ショップで買ったこと。夜ご飯はカーラが作ったピッツアと焼き鳥。ごちそうさま。おいしいよ。
朝起きると窓の外は霧の世界。お〜、ヨーロッパの城っぽい。夜は気づかなかったけれど、ここからの眺めもすごい。街を一望、まさに見下ろすという王様の好みそうな景色。ハンググライダーで街まで降りていきたいような風景が眼下に広がる。でも街に降りてしまうと、戻ってこられないのでギリギリまで降りてキュッて旋回して戻ってきて、とかそんなことを思いながら景色を堪能しているとお腹がへってきたので、カンティーンに行き1つだけ残っているパンオショコラをいただき、機械でコーヒーを自分で入れて、Hashibaとサインする。橋場さん、ごちそうさま。そうしているうちに、小切手を取りにアカデミーまでやってきた橋場さんと合流して街にくりだす。ベンツ博物館は僕らを待たずに閉まってしまったので、次の目的地のお風呂に向かう。お風呂と言っても、プールの横にある海パンをはいて入る温かいプール。橋場さんはちゃんと僕の海パンもタオルも持って来てくれている。温水プールよりは温かいけど、お風呂というにはぬるすぎる妙に中途半端な温度。思いきって抜けだす勇気もなく、熱くないだけにちょっと長居するといつまででもいてしまえる温度。まさに、ぬるま湯につかるというやつ。キケン。そして、サウナエリアは一転して裸の世界。ドイツ人はサウナに関してかなり真面目で、入り方などいろいろルールが厳しい。そして、ドイツはオランダと同じく混浴である。これでは知り合いの女子と来るのは絶対ムリ。それでもまあ10分もすれば不思議と気にならなくなる。けど、見知らぬおばさんと並んでシャワー浴びるってあまりないシチュエーション。温泉の混浴とはちょっと違う。そしてこんな大きくて見知らぬ場所を裸でウロウロするのはちょっと不安なもの。結局9種類のサウナのうち、なんとか7種類まで制覇してギブアップ。夜は年に一度のお祭りオクトーバー・フェスト。おっさんふたりでソフトクリームを食べる。橋場さんバニラ、僕ミックス。うまい。
ドイツの新幹線ICEでベルリンからシュツットガルトまでドイツ縦断5時間半。メルセデス・ベンツとポルシェの街。駅ビルの上にそびえる巨大なベンツのエンブレムに圧倒される。歓迎されているか、見下されているのか。整然と美しいこの街を支えるなにか目に見えないおそろしく大きな力を感じる。ベンツのエンブレムはしっかり見えている。でもこれはカモフラージュかもしれない。シュツットガルトにはアカデミー・シューロス・ソリチュードというアートと科学とビジネスを支援するレジデンシーに1年間滞在している元LUCAの編集長橋場さんに会いにやってきた。橋場さんはLUCAで僕にアートと旅日記のページを(太田さんに引き続き)くれ、とても寛大な対応をしてくださった。でも実は会ったことがあるのは一回しかなく、それもほんの数分間で、すべてメールと誌面だけのコミュニケーション。電話でもほとんど話した覚えがない。僕はきまぐれで何度も写真を変更したり、文章を代えたりしても、橋場さんは文句も言わずに応じてくれた。文字数も毎回バラバラやったのに。東京で会ってもミーティングになってしまうし、用事もなくドイツで会うのは楽しいだろうなと思ってくることにした。橋場さんは駅のプラットフォームで出迎えてくれ、駅前にできた美術館のレストランでタイ風パスタを食べる、ふたりとも。街からバスで30分の高台にある元お城の中にある橋場さんのアトリエとアパートが今晩の僕の寝床。ご近所さんにも会ったのであいさつをしたりする。橋場さんは市内で知り合いのひとの家でネコの面倒をみているそうで、僕を送り届けて街に帰る。部屋にはさすが編集人だけあって面白そうな本、それに興味をそそられる雑誌が山積みされている。枕元にあった、食品図鑑をみせてもらう。野菜から順番に眺めていると急に眠気に襲われ、そこからは覚えてない。酔っていたわけではない。青魚のページだったことは覚えている。あまりに興味があったのに、あまりに好きな種類の魚が多かったから、脳みそがフリーズしたのかもしれない。しあわせかもしれない。
荷物があまりに多いので、東ベルリンで一番大きな郵便局アレクサンダー・プラッツ局からアイゼナの従兄弟の家に段ボール2箱送る。事前にアレンジしておけば、ドイツ鉄道が日本の宅急便のように家から空港まで荷物を運んでくれたけど間に合わなかった。タイ国際航空のフランクフルト支店が教えてくれたこのサービス、インターネットで調べて、アレクサンダー・プラッツ駅(東ベルリン)の案内所で詳しいことを聞いてみた。ドイツ語で一言、知らないと言われ、英語は話さないとつけ加えられる。考えてみれば15年前まで、東ベルリンではロシア語は使うことはあっても英語なんて話すどころか聞くことすらほとんどなかったのだろう。仕方なく、西ベルリンで一番大きな動物園駅の案内に行くと、たどたどしいながらも英語とドイツ語のミックスで職員のおばさんが親切に、もう少し前に電話で申し込めばわざわざ駅に来なくても家まで荷物をとりに行ったのに、と教えてくれる(大木こだま・ひびき風に)。ノルウェーとフィンランドではみんな英語を流暢につかうのでそれに慣れてしまっていた。坂本さんも英語の話せないドイツ人なんて会ったことなかったもんねえと。こちらも東ベルリンに好んで滞在するなら、もっと緊張感を持つべきだしドイツ語を勉強するべきだとは思うものの、首都で国際線が止まるような大きな駅なら案内所くらいは英語でも対応した方がいいと思う。今度来るときにはベルリン中央駅も完成しているはずやし。それでは、りっちゃんの家が早く見つかりますよう。今年の冬はあまりきびしくなりませぬよう。
それにしてもベルリンにはギャラリーが多い。もちろんアーティストも多い。ベルリンには政治家とアーティストしかいないから誰も働いていない、と他の街のひとたちはからかう。ケルンのギャラリーのコレクターの顔は見えても、ベルリンではいったいどんなひとたちが作品を買うのだろう。りっちゃんの家でYCAMの大きなスクリーンで上映した40分の映像の作品を見せてもらう。コンピューターのスクリーン上やし、りっちゃんの作品を観ている僕をりっちゃんは観てるんちゃうん?と思いだすと集中できない。すると、コンピューターに入っていた坂本さんとカーステン(alva noto)のCDが回りだす。安定した精神へのペースメーカーとなったのか、映像にどんどん入って行く。音楽が終わっても、どんどん入って行く。いかに自分が穏やかな気持ちからかけ離れた精神状態でいたかを実感。ブライアン・イ―ノはその昔、自分の語るストーリーをゆっくり再生するという作品を見せた(聴かせた?)。呼吸や心拍数が早く、落ちついていないオーディエンスは、その口調の遅さにイラつきすぐにその場を去ったらしい。でも、その場にい残り遅〜い話に耳を傾けたひとたちは呼吸も心拍数も減っていき穏やかな気持ちになった、という発掘!あるある大辞典Ⅱのような作品を思いだす。りっちゃんの作品、大きなスクリーンで観たいなあ。
日本にいても祝日を当日まで知らないことがあって困るけど(気づかぬまま過ぎ去った祝日もあった)、ドイツに来ても突然祝日に襲われる。聞いてないでえ。ケータイがおかしくなったのに、家の前のケータイ屋が祝日で閉まっている。東西ドイツ統一15周年やし、しゃーないか。それにしても、もう統一して15年かあ。戦後の日本も東日本と西日本に分割されるところだったと、かなり大げさに中3の社会の授業で教師に脅かされたのを覚えている。みなさんの名前もナターシャ(ソ連支配の東日本人女性)やらジェームス(アメリカ支配の西日本人男性)やらになっていたかもしれませんよ、と。ヨーロッパ(東西問わず)気触れもピークに達していたあの頃、それはそれでええよなあ、と僕らだけはあまり動じなかった。宮田や麓たちと、すでにイギリス・ロック界から名前を拝借し、ミックやらピートやらブライアンやらと自主的に西側(資本主義サイド)の名前を名乗ってたし。祝日なので普段月曜は閉まっているハンブルガーホフが開いているので、シリン・ネシャット展を観に行くことにする。りっちゃんは新しい家探しがいよいよ佳境にさしかかっているので、ひとりで行く。りっちゃんは今の家をなんと、短期で日本に帰国しているひとをインターネットで見つけ、パスポートのコピーを交換することで簡易契約を交わし、カギを宅急便で送ってもらったらしい。なんとも合理的というかニュー・ジェネレーションな感じ。話は戻ってこのハンブルガーホフ、元々ベルリンとハンブルグをつなぐ鉄道の駅だった。壮大なドイツの駅のなごりはとどめている。そしてシリン・ネシャット新作のクレジットにRyuichi Sakamotoの名が。来年の長篇の音楽をするという噂はきいてはいたけど。夜はその坂本さんがベルリンでカーステンとのヨーロピアンツアーのリハ−サルをしているというので、遅めにりっちゃんのケータイに送られてきた住所を頼りにレストランに合流してみる。すぐ近く。本当にひとりでNYから来ていた。イタリアンレストランの長いテーブルでスタッフに囲まれる坂本さん、ともだちと一緒にいる大学生のようなリラックスした笑顔。支払いのときも、払わせてもらうこともなく、かといって誰かが払ってくれるわけでもなく、普通にみんなで割り勘している。割り勘に慣れていないのか、坂本さんは僕らのコーヒー代も含め多めにお金をだし、計算が合わないとみんなに怒られる。ごっつええ感じ。
メールで会う約束をしていた花代の家に電話してみる。「あっ、もしもし...」「点子だよ」「あっ点子ちゃん?」「そうだよお」「花代さんはいますか?」「いるよお」「えっ...かわってもらえますか?」「いいよお!」2時間後に3人でクーダムのアインシュタインでシュニッツエルを食べることにする。花代と娘はお揃いのボーダーチェックで現れる。そして、びっくり。点子はもうすっかり美人の女の子。時の流れにため息がでる。もうわりと長いあいだ知ってはいるけど、数えるほどしか会ったことがないので、点子はどんどん成長していく。はじめて会ったのはロンドンのニコラのフラット。みんな朝まで遊んだけど、花代は途中からソファで寝ていた。次に会ったのは、アムステルダムのステデリック美術館。赤ちゃんを胸に抱いたまま仁王立ちのエキゾチックな東洋人がいる。近づいてみれば花代、抱かれているのは数カ月の点子。話しかけると覚えていないと言われる。ニコラの家であんなに何時間も話し込んだのに。もう会うことはないのかと思いきや、ロンドンのオールドストリート駅で邂逅。真っ暗な駅前、前方にベビーカーの親子。こっちを見てる。お金をせびられるのかと思った。近づいてみると、今度は目をそらす日本人な感じの女。覗き込んでみると花代。道に迷ったらしい。日本人に聞くのは恥ずかしいと思い、目をそらしたって。数日後に催される点子の2才か3才の誕生日会に招待してくれる。実はここで、眉間にシワを寄せ、おでこに「点子」と書かれた点子が一番印象に残っている。次は多分、パルコのオープニング。白いドレス着た点子の写真があるから覚えている。そして、2000年の台北ビエンナーレ。点子の姿見ず。そして前回会ったのが、パリのパレドトーキョーでのライブ。点子は一番前でパーフォーマンスを観ていた。遠巻きに観ると母娘ショー。あと、2、3回は会っているかもしれない。今度はいつどこで会えるやら。なんか楽しかったしなあ。シュニッツエルも薄くておいしい。
りっちゃんの家から歩いて行ける映画館にジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』を観に行く。近くのスーパーでジュースも買って準備万端。スクリーンは大きく、座席もふわふわ。本編が始まり少し経って気がつく。あっ、ドイツ語やん。そうや、ドイツは映画館でもテレビでも吹き替えやった。でも昔はハリウッド映画だけやった気がするけど。ジャームッシュがメジャーになったとよろこぶべきか。ドイツ語少しだけわかるだけに、イライラする。サントラとビル・マーレーはなんとなくよかった。フレッド・ペリーの上下のジャージも似合ってたし。夜は再びFUTONを観に行く。全く違うセットリスト。いいやん、今晩の方が。
ポンタウィーサックはベルリンに来るのがはじめてだというので、一緒に無数にあるギャラリーや巨大な美術館を巡る。タイ人はすぐにタクシーに乗りたがるし歩くのが嫌い、という先入観があるから歩く時間が長くなってくるとついつい気にしてしまう。大丈夫か?と聞いてみると、暑くないから大丈夫と笑われる。意地になったのか、電車で帰ろうと駅に向かうと、歩いて帰ると言いはる。疲れるわ。夜は家(もちろん自分のではない)でパスタと買いためたいろんな種類のパンを食べる。ライ麦とか玄米とか茶色い穀物を口にすると、いつもありがたい気持ちになるのはどうしてだろう。

