インドの本屋には英語でもいい本が安くてたくさん並んでいるので楽しい。PICO IYERは奈良に住んでいるムクルの親戚。
Arundhati Roy のAn Ordinary Personユs Guide to Empire
Osho のSo Lost and So At Home
Pico IyerのThe Lady & the Monk
The Dalai Lama の本をたくさん
August 2005アーカイブ
ゲストハウスでシャワーを浴び、オベロイ・ホテルに朝食を食べにでかける。おおお、文明。山から降りてきたばかりなので、あまり丁寧に構われると緊張する。でも慣れるのも早い。調子にのってホテルをはしごして、夜のフライトまで束の間のデリーを満喫する。出発が3時間早い路姉妹を市内で見送り、空港では英国航空でロンドンに帰る知子と別れ、僕はバンコク行きのタイ国際航空に乗り込む。な、なんとそのとき、デリーとダラムサラで会った例の独特タイ人3人が何やら地上職員ともめているではないか。びっくりしたけど、タイ人なのでタイ国際航空に乗るのは不思議ではない。どうも、手荷物の重量でもめているらしい。僕の荷物の重量に余裕があったので、親しい友だちのふりをして掛け合うも、遅過ぎます!と地上職員に笑顔ながらも恐い口調で断られる。突然現れ、過ぎ去る僕の姿にタイ人たちもびっくり。僕たちお互いの名前もまだ知らない。
4人で車はつらいので、帰りはデリーまで電車で帰ることにした。ジープでパタンコットの駅まで3時間。夕方の寝台車で、翌朝まで12時間の旅。運良く、4人のコンパートメントが取れたので、これは楽しく快適。靴の裏もキレイに洗ったので、コンパートメントにも入れてもらえる。電車がデリーに着くと、ゲストハウスのチベット人が駅のプラットホームまで迎えに来てくれている。荷物もかなりあるので、ポーターを3人雇うことに。彼らは頭にスーツケースを2個重ね、両手に荷物を持つ。わりと目立つ大名行列。そして、これで大丈夫なん?という積み方で車の上にスーツケースをのせる。まあ地元のひとなんでその辺は任せることに。空気の汚いデリーといえど、車の窓から入ってくる早朝の空気は寝ぼけ眼にはちょっと冷たくて気持ちいい。すると、助手席に座るチベット人の兄ちゃんの野球帽が風に飛ばされていっちゃった。あっ!と振り向いて目で帽子を追ったものの、兄ちゃん車は止めない。すべての悪運があの帽子と飛んで行ったから、すごくラッキーなんだ!とのこと。チベット人、ポジティブ!と感心しながらも、車の上のスーツケースがとても気になる。
ダラムサラ滞在中、インド料理もチベット料理も安定したおいしさで僕らの信頼を勝ち取ったインディア・ハウス。最後の昼食はこのレストランでハッピーエンド!のはずだった。しかし、なぜかレストランのきれいな大理石の床が汚れている。足形のうんこを目で追うと僕の席の下に辿り着く。ウェーターもニヤニヤ笑っている。僕やない。僕がうんこ踏むはずないやん。
インタビューのあと。白髪と茶髪が混ざり雑種犬のように斑になってしまっている僕の髪の毛を引っぱり、「西洋人なのかい?」と耳元でささやき、へへへへと大笑いするダライ・ラマ法王。マゾキズムなんかではなく、からかわれる言葉のひとつひとつに大きな愛情を感じてしまう。「それではまた会いましょう」と言い軽く右手をあげ、そしてちょっと間を置いて、「多分、日本かな」と気心しれた友人のようなカジュアルな挨拶でお別れ。片付けを済ませて僕らが宮殿を去るころ、スピーカーからは法王の午後の法話が聞こえてきた。
僧院で2時間半もの法話した後に、法王が会ってくださる。謁見予定時間の30分ほど前に通された宮殿内の応接間には仏像や観音菩薩像、それにタンカと呼ばれるチベットの仏画が数多く並び、その対面にはチベットの大きな立体地図が立て掛けてある。そうそうたるチベット仏教の覚者たちの像を前に少し緊張しながらも秘書のひとたちとなごやかに話しをしながら法王が現れるのを待っていると、見たこともないような見事な美脚の蜘蛛がふかふかの絨毯の上に現れる。あまりのその脚の美しさにみんな怖がることも忘れ、ついその姿に見とれてしまう。蜘蛛に続いて現れたのは白いプラスティックの容器を持った宮中のお支えのひと。慣れた手つきで蜘蛛をそっと容器に誘い込み、雨上がりの緑あざやかな宮殿の庭にまるでVIPをエスコートするように丁重に連れ出す。ここではどんな小さな生き物であれ殺生は行なわれない。こんなごく当たり前のことを目のあたりにすることで、いま僕たちの居る場所を自覚する。
ロンドンで、ベルリンで、ダラムサラで、そして日本各地で、幸運にもいろんなところでお目にかかったダライ・ラマ法王。2000年は坂本さんと一緒にunfinishedのために京都でインタビューもさせてもらった。今でもよく分からないのが昨年12月、アーユルウェーダで蓄膿を治してもらおうと南インドに行った時。僕は自分でも知らぬうちに法王の前に辿り着き、法話を聞いていた。そして年が明け、法王の取材の依頼が突然きた。僕がムンバイから目的地のトリヴァンドラムに直接行かなかったのは、コチンで月を観たかったのと、昔NHKスペシャルで観たマイソール郊外にあるセラメイ寺に行ってみたかったから。バンガロールまで飛行機で飛び、そこからマイソールまでは電車で向かう。でもセラメイ寺の住所も行き方も知らない。ROUGH GUIDEにあったチベット人に人気というホテルに泊まり、だいたいの場所を聞く。バスターミナルで時間を調べ、翌朝の11時のバスで2時間半、4時のバスでマイソールに戻れば、その夜のコチン行きの夜行バスに間に合う。滞在できる時間は約2時間、ちょうどいい。バスの運転手はさすがにセラメイ寺を知っていたので、ひと安心。途中、チベット人も乗って来たのでもう大丈夫。セラメイ寺に一番近い街で降ろしてもらい、オートリキシャに乗り換える。ここから9キロらしい。まるでイギリスの田舎のようにローリングヒルがひろがる気持ちのいい景色。5分ほど走ると、荷台にチベットの僧侶たちがたくさん乗ったトラックや、定員オーバーのオートリキシャが急に増え、気がつけば渋滞状態。ものすごい数のひとたちが寺に向かって歩いている。西洋人もいる。寺の入り口には列ができ、身体検査。これはただの催し物ではない。聞いてみると、あと10分でダライ・ラマ法王の法話がはじまるとのこと。すごい大勢人がいるものの、隙間もあるので前にどんどん進んで行くと、法王が間近に見えるであろう階段にとてもよさげな場所発見。もちろん英語の同時通訳が聞けるFMラジオも座布団も持って来ていない。すると、後ろのチベットの僧侶がお尻に敷けと段ボールをくれる。準備万端なところで本当にダライ・ラマ現れる。そして、2時間理解できない法王のチベット語に耳を傾ける。みんなが笑うときは一緒に笑う。意味はわからないのに、笑うとほんとうにうれしくなってきた。法話が終わると、人の流れとともに寺をで、オートリキシャでバス停まで戻る。バス停の前でチャイを飲み終わる前に、トイレに行く暇もなく乗る予定だった4時のバスがやってくる。結局、僕はセラメイ寺に行ったけど、セラメイ寺は何も見てない。翌日行ったコチンでは、月も見忘れた。
ダラムサラでの食事は、コテージのおいしい朝食とあまりおいしくない中華と一度で十分かなのイタリアンとちょっと期待ハズレの韓国料理とおいしいけど種類の少ないチベット料理とさすがに限界のある和食とインド料理の繰り返し。本場のインド料理はおいしい。醤油とみりんと鰹と昆布だしだけの味付けの和食よりバリエーションが多い。残りの人生、インド料理しか食べることが許されなくなっても、それはそれでまあいいかと最近思えるようになった。
このままは帰れないので、宮殿にダライ・ラマ法王の秘書に会いに行く。5日後に謁見の時間をもらえることに。多くのひとたちがこのひとに救われているに違いない。
雨の合間に、10年前に勉強をさせていただいたチベット占星医学研究所まで歩いて出掛ける。お世話になった、法王の侍医だったテンジン・チョダラク先生とロブサン・ワンギャル先生はもう亡くなられてここにはいない。先生たちの人生を想うと僕の人生に意味はあるのかと考えてしまう。このままでは死ねない。薬草の先生で富山の大学にも来ていたダワ先生がいまはここの所長さん。手の空いている先生を紹介してもらって、みんなで脈診を受ける。ルン(風)の過多で、睡眠の質がよくないと注意される。これはいつものこと。脈質は女性脈。これは一生変わらない。いつものハーブの薬とチョダラク先生が開発したミネラルからできた高貴薬ムーン・クリスタルも処方してもらう。民さんに便乗して、頭の中の風を止めてもらうために、先生の自宅でマッサージをしてもらう。文字で読むとなんかかなり怪しいね。
ダライ・ラマ法王の特使団がスイスでの中国政府との交渉から帰って来たらしく、ダラムサラはちょっと慌ただしい。インドと中国が急接近でチベット人たちの状況はかなり危うい。そんな中、政府の外務情報省に法王とのインタビューの申し込みに行く。連絡をした担当の大臣が不在で、代わりの偉いひとがすごく丁寧に対応してくださるも、インタビューは断られる。たしかに、スケジュールを聞いてみると、僕らなんかに時間を割いてもらうのは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。でも会う気でいるので、なにか現実を飲み込めない。僕たちも何カ月もかけてちゃんと手続きをふんで来ているわけやし。とりあえずコテージに帰ってお茶を飲んで打開策を考える。同じ頃、ロンドンでテロがある。いつかはあると分かっていたけど、本当にロンドンが狙われた。ロンドンのみんなは大丈夫そうでよかった。それにしても、ダライ・ラマが、非暴力でお願いします、と昨日お願いしたばかりやのに。
ダラムサラのレストランでタイ人の女の子に、デリーの空港で見かけましたが無事にここまで来られましたか、と声をかけられる。キャンセルされた同じフライトの乗客らしい。遠くのテーブルから笑顔を送ってくれるちょっと独特なお連れの二人を見たら思いだした。びっくりしたけど、ちょっとうれしい。
濡れねずみとなって部屋に戻ると、後発隊の編集の路姉妹が東京から、そして写真家の米田知子がロンドンから到着していた。一緒に紅茶を飲んで温ったまる。ここは、イギリスの田舎にあるB&Bのような感じでとても落ち着く。旅行代理店とかとも契約してないようで、ほとんどのひとたちが紹介されてきたひとたち。僕は読んだ本にでてきたので、気になって問い合わせてみた。リチャード・ギアも泊まることもあるらしい。でもいま来たら、落ち着けへんやろなあ。
10年振りのダラムサラは大雨。そして、今日はダライ・ラマ法王の70才の誕生日。早朝、予約してあった法王の弟君が経営する小さなホテルにやっと辿り着く。誕生式典のプレスパスもちゃんと亡命政府から届けられている。ふ〜、間に合った。おばあさんたちも子供たちもみんな雨にずぶ濡れになりながらも、遠くに見える法王を見つめながら祝っている。式典のあと、プレスを集めて記者会見。ダライ・ラマ法王はいきなり、70才を迎えるにあたって言うことは何もありません、微笑むだけです!と両手を広げて本当に笑顔を見せてくれる。そして、あなたがテンジン・ギャツォの友人であるならば、非暴力でお願いします、とココロにしみるメッセージ。帰りはタクシーが渋滞しているので、うる覚えの裏道を通って山を下る。道なき道が川になっているので恐いものの、麓までの道がわかるので助かった。
午前5時半デリー空港の国内線で、飛ぶことの方が少ないと言われるジャグソン航空のガガル行きのフライトにチェックインする。ガガルの天候が悪いという理由でフライト時間が何度も変更する。もう5時間も待っている。乗客は次から次へとキャンセルをし、乗客はとうとう僕ひとり。とうとうパイロットがカウンターまでやって来きて状況を教えてくれる。最後の客=僕も説得され、フライトは正式にキャンセルされる。パイロットが危ないというフライトにはたとえ嘘でも乗りたくない。あきらめてタクシーを旅行代理店にオーダーする。ダラムサラまで約12時間の旅。やって来たのはインド車アンバセダー。運転手は気のいい若者二人。従兄弟らしい。洪水で道がなくなってたり、運転手たちが実家に寄ったりで、結局ダラムサラに着いたのは14時間後の夜中の2時。アンバセダーでは上まで登れないというので、小さなタクシーを探して乗り換える。し、しかし、ホテルに向かうゲートが閉まっていたので、朝まで近くのホテルで過ごす。
街中を彷徨う放し飼いの牛の一斉検挙がはじまり、野良牛をあまり見かけなくなったデリーに昨日オープンしたばかりの地下鉄2号線に散歩ついで乗りに行く。エレベーターでひっくり返っている女性数名目撃。前にもデリーの駅で、そしてシンガポール・チャンギ空港でひっくり返るインド人女性を見かけた。なぜにインド人はそれほどエスカレーターが苦手なのだろうか。バランスがおかしい。普段無意識に乗っているから気がつかないけど、上りのエスカレーターに重心を前方に置かずに乗ると、後ろにひっくり返る。考えすぎて抵抗すると、たしかに後ろにひっくり返りそうになる。今度、意識して乗ってみて。地下鉄は日本の技術と支援でできたらしく、新聞なんかでもかなり感謝されている。でも車両は多分ドイツ製。バンコクの地下鉄ととても似ている。
曇りのニューデリー。3日間雨が降り続けたらしく45度ほどあった温度もかなり下がったらしい。ダラムサラへのフライトまで30時間ほどある。今回はあまりインドに関わりたくないので、できるだけメトロポリタンホテルから出ないで電話とメールで用事を済ます。ちゃんとしたホテルだけあってインドにしては物事がスムーズに進む。食事もホテルで済ませ、あとはスチームサウナでリラックスと思いつつ、ダラムサラのチベット亡命政府の情報外務省に確認の電話をしてみると、ビジネスセンターから送ってもらった3枚のfaxは裏表逆さまに送られていたと判明。あきれた顔をしてみる僕の前をインド人が笑顔で通る。ナマステ。
バンコクの空港の免税品店でビデオカメラを買う。安いからではなくて、東京で買いそびれたから。値段は悪くない。問題はここでビデオカメラを買っても日本のテレビに使えるNTSCシステムではなくてイギリスやタイやインドで使えるPALシステム。ビデオカメラも買ったし、そろそろインドに住もかな。
東京駅近くのホテルで2時間ほど寝てから、成田に向かう。きょうは、バンコク経由でニューデリー。お誕生日月ということで、タイ国際航空は往復全セクタービジネスクラスにアップグレードしてくれる。ありがとう。成田空港の手荷物検査場で背中に気配を感じ、振り向くと坂本龍一さんが並んでいる。同じ日に出発とは知ってはいたものの、こんなところで会えるとは。行き先と航空会社は違へけど、ゲートは隣で時間も全く同じなのでファーストクラスのラウンジに付いて行く。日本茶をだしてもらい、龍一さんはカバンから自前のキットカットを取りだし半分くれ、一緒にいただく。トヨシマくんとならさんも午後にここからNYに出発する。サンダーバードの出動みたいでなんかカッコいい。
長野で一日休んで、東京に向かう。ホテル・オークラでダライ・ラマ法王の70才の祝賀会に参加したあと、一部のタイ人が憧れる新宿2丁目でタムくんたちに合流する。シェリーと例のお友だちたちがバンコクから大勢来ている。タムくんとご飯を食べていた、しりあがり寿さんも同じくらい仲間を連れて来ている。新宿2丁目では中途半端にソワソワしてしまうひとたちがいるというので、この大人数で六本木に移動する。わざわざ小さなバー、トラマリスへ。
そして今日は京都造形大学で後藤さんのスーザン・ソンタク追悼イベント。浅田彰さん、マイク片手に所狭しとステージを動き回り、吠えはる。本気か演技か、浅田さんかなり怒ってはる。あまりに面白くて引き込まれる。怒りの熱をそのまま残し、愛情いっぱい、ソンタクを語る。浅田さんも写る奇妙なスナップ写真(なんとアニー・リボヴィッツ撮影)がスクリーンに映し出されると笑いも起こる。高校の時に読んだOn Photography。大学院のセミナーでみんなと読んだエイズやがんとその隠喩に関する本。ロンドンのICAでThe Volcano Loverにサインをしてもらったこと。忘れていた感情とともにソンタクの気配を会場に感じる。これこそ追悼。坂本さんとタカタンの追悼ライブも昨日とは趣が違うし、短いのに腰が抜けるほど素晴らしい。坂本解釈のペルトも美しい。日本でこんなに刺激的なこと久し振りかも。みなさんと一緒にご飯をいただき、夜のバスで京都から長野に向かう。東京行きのバスは、途中で運転手が交代するけれど、信越方面のバスは運転手がそのままなので、途中運転手が2〜3時間仮眠をとる。安全上の理由から乗客たちはその間、バスに監禁される。一緒に寝ることができれば気にならないけど、バスは動いていないとどうも落ち着かない。
フランスはパリ郊外gentillyの住宅地にあるroom。その1階の奥にあるhome-roomのサーバーを変更したので先週3日間ほどアクセスできなかったみたいです。すんません。もう大丈夫のはずです。最近、台北からはroom airでもお世話になったmioさんが、パリからも日本からも遠いところからはRLくんがくわわり、だんだん国連のようになってきました。欲をいえば、高齢者やこどもにもくわわってもらえれば、話題も広がり面白いと思います。コンピューターがもっとすごくなったら、人類に限らず動物たちにも参加してもらいましょう。僕は書いて寝かせてある日記を4週間遅れくらいでアップしていますが、いまはもうちょっとずれているので、とりあえず週末からアップするスピードをあげますわ。
今日の目的地は京都の法然院。坂本龍一さんとタカタンこと高谷史郎さんが100人限定の実験ライブをするから。法然院入り口の「実験ライブ」というに張り紙にすでに興奮。タイミングよくマリ・クレールの特集で使うアフガニスタンの写真のお礼メールをくれた鶴田真由ちゃんに、ライブのことを教えあげると、京都までやってきた。本当にひとりでやってきた。この行動力、すばらしい。タカタンの3面映像の背景は夕暮れの法然院の庭。そこに坂本さんの音楽。その音に獅子落としが反応する。その音に坂本さんが反応する。その音に虫たちが反応する。その音に坂本さんが反応する。その音に畳の上に座った客が反応する。タカタンは軽く上を見上げて微笑んでいる。ライブの後のお食事会で、法然院の住職さんがこのライブを「パソコン・イベント」と呼んでいたのがかわいかった。またこんなパソコン・イベントこっそりやってください。
今日は珍しく忙しい。関空から神戸と大阪経由で京都まで行くねん。スタートは早いにこしたことはないけれど、まだ早すぎる。ひとつ目のミーティングにも早すぎるので大好きな神戸サウナに関空から直行する。やっぱりここ楽しすぎる。気分がいいまま神戸で多分一番高いビルのそのまた上層階でこしじさんとミーティング。全面ガラスで見晴らしがよく広い会議室にふたりしかいない。空気が澄んでいる感じがしてこれまた気持ちいい。バンコクでシェリーにごちそうしてもらったので、弟のタムくんにお昼をごちそうして、コーヒーをごちそうしてもらう。久し振りの大阪で久し振りにトヨシマくんとミーティングをして、京都へ。疲れたので雨の音を聴きながら寝てしまう。

