アテネ五輪の出場権をかけたサッカー日本対UAE戦をテレビで観たり観なかったり。神戸のスパイス屋で買ったUAE産のマンゴジュースMAAZAの1リットルをがぶ飲みしながら。試合前に君が代を斉唱するサポーターたちを観てふと思った、僕は生まれてこのかた君が代を斉唱する機会はあっただろうか。どうも歌った覚えがない。当時、大阪の公立の学校はかなり極端に左寄りで、小中学校の9年間で学校で日の丸を見たこともないし、君が代を歌ったこともない。このことをどう感じていいかも正直いまだによくわからない。弟の時代の政治教育はもっと片寄っていて、先生たちがその行きすぎた教育で逮捕されていた。日本の代表チームに親近感を感じるかどうかもよくわからない。国立競技場でイングランド代表が戦っていれば、手に汗握り応援するだろうし、ロンドンのウエンブリー・スタジアムに日本代表が来ていたら同じ気持ちで応援するだろう。でも考えてみると、日本のなかでも北海道には行ったことがないし、多くの東日本の県にはまだ行ったことがない。でも、UAEのアブダビやドバイの空港には飛行機の給油で何度も降りている。う~ん、でも東日本出身のともだちはたくさんいるし、アラビア語はわからない、平山とか大久保とか有名な選手への親近感でやっぱり日本。これを書いていてオノ・ヨーコさんのチェスセットを思い出す。彼女のチェスの駒は両軍全部真っ白。試合を進めていくと、どれが敵でどれが味方かだんだん判らなくなってくる。ゲームにならなくてつまらないけど、これなら戦いも起こらない。みんな優勝。
March 2004アーカイブ
映画を観に行って本編の前に『グッパイ・レーニン』の予告編を観る。去年、珍しく飛行機の中で退屈したので、退屈しのぎに観た映画。奈良さんともgrafでこの映画の話しになったので日本でも公開されることは聞いていた。東西ドイツ統一前後のベルリンが設定のコメディーながらも、主題が奥深いだけに機内で観たときは笑う以上に思いに耽ってしまった。今日も予告編で空輸されるレーニンの銅像を見ただけでその思いを引きずり、本編の映画になかなか入り込めない。東西に分裂していたベルリンは本当に緊張感のある特殊な場所だった。西ベルリンの地下鉄が機関銃を持つ兵士の立つ薄暗い東ベルリンの駅を通過してまた西ベルリンに戻る。東ベルリンは街全体が社会主義のプロパガンダ用ショーケースの役割を果たしていたので、道は広く、建物は壮大で開いた口が閉じないほど圧倒的。国営インターフルッグ航空の世界地図ではベルリンから世界中の社会主義国の首都だけが結ばれており、かなりエキゾチックでまさに別世界。お金は1M(東マルク)=1DM(西マルク)というのは公式レートで、ヤミ両替所でのレートは1対10。10DMをヤミで両替すれば、100Mになるけど東では買うものがあまりない。クラシックのレコード、本、メガネ、カメラくらい。観光客には知られていない東マルクで支払うことのできる高級レストランで夕食を済ませて西に戻る。西からの人間にとっては刺激的な観光地だった。でも、東の人間が西へ行こうものなら射殺された。自由の身であったからこそ楽しめた東ベルリン。元東ドイツ人たちは今どのような気持ちでこの映画を観るのだろう。きっと笑って観られる人は資本主義社会に適応できてうまいことやっている人。今の生活でどうもぱっとしない人は、かなりしんみりくると思う。僕も予告編を観るだけで、なぜかしんみりしてしまう。東ベルリンのシンボル・TVタワーの回転レストランで相席になった東ドイツ人家族の子供は西ベルリンを指差して、あっちは明るいねえ、と言っていたのを思い出す。コーヒーを飲み終わったら僕が戻る西側に、この親子は行くことができなかった。ドイツ人として成人しているはずのあの子はこの映画を観ただろうか。それより、僕の東ベルリンの国営銀行フリードリッヒ・ストラーセ支店に預けたお金は一体どこにあるのやろか。
春の陽は暖かく、浜風がなんとも心地よく、モナカがおいしい甲子園球場3塁側スタンド。試合開始直前に新聞のテレビ欄で今日は甲子園で巨人を迎え撃つと知り、あわてて球場に掛けつける。3塁側と言えども、見渡す限り360度阪神側。オレンジのシャツを着て腰を振リ続ける女の子5人しか明らかな巨人ファンは見当たらず。巨人がこれほどまでに劣勢な場所は日本にないかもしれない。ははは。イギリスから移住してきた宮田の義弟アンディーたちと一緒に来て以来の甲子園。そのヤクルト戦で、どこのファンかと聞かれたアンディーは、マンチェスター・ユナイテッド!と自慢気に答えていた。野球のルールもわからないまま彼は時折大きな声を張り上げて応援するふりをして、日本という言葉も通じない土地での生活で溜めこんだストレスを発散していた。そして、たまに間違えてヤクルトを応援していた。時折、声をひそめて、彼はあそこで一体何をしているのか、とルールの説明を求めたりもした。それにしても、見知らぬ隣の人のポテトチップスの袋についつい手がのびてしまうほど席幅の狭い甲子園。そして、それが許される甲子園。向こうのほうから見知らぬ人のお菓子やらおにぎりやらまで回ってくる。見知らぬ人にモナカをおごってもらったり、おごり返したり。和やかな雰囲気と思いきや、危険なほどファナティックな応援マーチとファシストのようなバンザイ。その後のヘラヘラとした笑いで和やかな雰囲気に戻る。やっぱりここは特殊な空間。今回一番気になるのは大阪近鉄から巨人に移ってセンターを守るローズがこれからも大阪弁を話すのか話さないのか。スタンドからは確認できない。うれしいことは藤本への声援が期待の新人鳥谷以上に多いこと。しかし、何を隠そう僕が阪神よりも好きなのは今は無き阪急ブレースなので、一番盛り上がるのは阪神のピッチャーが打たれだして佐藤義則ピッチングコーチ(元阪急のエース)がちょっと困った顔をしながら小走りにマウンドに向かう瞬間。オープン戦での阪神の防御率は12球団一の2点代と絶好調で、佐藤コーチの姿もなかなか拝めなので、実は複雑な気持ちなのです。
タイ人のタムくんの家でタイ人たちにタイカレーとトムカーガイをご馳走してもらう。こうやって床に座ってダラダラ食べるタイカレーがやっぱり一番おいしい。バンコクの小説家に紹介されてG4でチャットをしたり、お姉さんと話して欲しいとタイに電話されたりで、タイにさらわれた気分。ちょっとしあわせ。しかし、部屋に流れる音楽はなぜか手塚治虫のアニメのテーマ曲ばかり。ワンサくんとかメルモちゃんとか。
お蝶夫人負けたやん。判ってはいたけど。
今日はLucaの発売日のはず。そして、チベット民族蜂起45周年の記念日。故テンジン・チョダラク先生をはじめ、どれだけ多くのチベット人たちに勇気づけられてきたことか。なのにまだ何にも恩返しもできてない。いまだにダライ・ラマ14世は亡命先のインドで難民として暮らし、多くのチベット人たちがチベット内外で彼らが望まない環境での生活を強いられている。しかし、ダライ・ラマ法王は、チベット人はただの被害者ではなく、今のチベットの状況はチベット人が世界に対して鎖国をしていた頃の悪業への報いでもある、のような見解で一方的に中国を責めることはしない。チベット仏教を抜きにしても、人としてごく普通に尊敬できるところが14世のすばらしさでもあるのだと思う。そして、Lucaには僕の2月以前の旅日記がでている。
それから今日は、grafでちょうど3ヶ月振りに散髪をしてもらう。前回の散髪はDVD『S.M.L』に記録された歴史的散髪。今回は元4階ソクラテスのモモちゃんは忙しいので、1階工房の村山くんが2階倉庫で切ってくれる。理髪師歴6年とあって、手際もよく、歯切れのよいトークもサロン風。gmニューズレターへの原稿のお礼として発行してもらったgmサンドイッチ券と飲み物券を散髪のお礼に村山くんに使ってもらう。地域通貨っぽいやん。すっきりした頭でさっそく隣1階のgmバーへ。なぜかバーで立ちつくしている3階ショップのコーザイ・ナオミに「その新しいグレーいい色ですやん」って、これ全部白髪やねん。みんなは会員制カードやお店などのポイントカードの話をしている。なんか、飲み屋っぽい話。タワレコのはあんまり得ちゃうけど、ヨドバシのは使ってしまうわ、とか。確かに。得でもないのに、ついつい店に引き込まれるのはやっぱりくやしい。飛行機でいえば、Starallianceの待遇がいいので、僕は催眠術にかけられたように盲目的に選んでしまう。他社に乗ると、Staralliance への忠誠心がばれている気がして、逆にスチワーデスを細目で威圧してしまうほどの被害妄想がみられちょっと重症。去年、半強制的に作らされたStarwood系のホテルのカード。すでに、親しみのような気持ちが芽生えはじめている。
久しぶりに鼻血がでた。『my room somehow somewhere』展初日の朝以来なので1年ちょっと振り。この忘れていた感覚にいろいろ思い出す。こどもの頃、だるくてなかなか起きられない朝は「地球の重力が強すぎる」とぐずって地球のせいにした。だるいのは重いから。重いのは重力があるから。重力は地球のせい。小学生の理論。早期発見にも関わらず、いまだに抜本的な解決はされぬまま。だるい。
朝から泳いでサウナに入って華頂山を散策する、とまるで生まれ変わったような健康的な生活。毎日こんなに機嫌良く午前を過ごすことができれば、人生かなり変わる気がする。雨になるはずの空まで晴れわたる。調子に乗って、神戸に戻らず東大寺二月堂のお水取りを見に近鉄電車で奈良に向かう。京都は晴れていたのに、奈良は雪が降っている。関西はお水取りの頃が一番寒いという通り、ほんまに寒い。からだを温めるために駅からは早歩きで東大寺を目指す。大通りを外れ、二月堂までの暗い夜道を大人たちが笑顔でそわそわ楽しそうに急ぐ姿を見るだけで静かに気持ちが昂ぶる。夜7時に堂内の電気が消えるとどよめきが起き、それは先日のクラフトワークのオンステージとあまり変わらない。大人たちはもう露骨に興奮する。坊さんたちが順番にひとりづつ登場し、80キロもあるらしい松明をクルクル回して火の粉を飛ばしながら本堂の回廊を走るきる。二月堂が炎上するのではと心配するほどすごい勢いの火。写真で見せることができないのが残念(そう決めたから)。きれいだけでなくちょっと危険な雰囲気もあり、横のおばちゃんたちも、ふわああ~と声だけだして上を見上げ、完全にやられてる。火はすごい。何かを呼び起こしている。回廊の下には健康祈願に火の粉を浴びたいひとたちが前列を占め、かなり興奮気味。火の粉どころか、火玉まで落ちてきてギャーギャー歓喜の悲鳴がこだまする。終わりにさしかかると、さっきまで目を輝かせてちょっとかわいかったおばちゃんたちは飽きてきたのか、「あの人は上手いな!」とか「この人、アカンな。もっと回わして、はよ走らな!」と、街で見かける普通のおばはんに戻ってる。
この儀式は拝火教とも呼ばれるゾロアスター教の影響があるらしい。インド系の移民の子だったQUEENのフレディ・マーキュリーの葬式で一躍有名になったあのゾロアスター教。起源は仏教よりも古い、西アジアのゾロアスター教徒たちの火を敬う思いがシルクロードを通って形を変えながら日本に辿り着き、いまでも家からそう遠くもない奈良のお寺の行事の中で生き続けていると思うと再び興奮する。アフガニスタンに石に刻んであった仏画を思い出した。物や人と一緒に思想や欲望や歌といった形のないものもたくさん行き来した。そして、形のないものは形を変えて生き続ける。あ~、なんかすごい良いもん見た。14日までやってます。
一休.comでその日のお得なホテルを探して、とりあえず京都に向かう。いくら家からの見晴らしがよかろうが、1週間もこもっていると乗り物が恋しくなる。格安チケット屋でJRの京都-大阪間と大阪-三ノ宮間の2枚の昼得キップを合わせて買うと普通運賃の半額くらいになる。阪急の全線券というのを買うと、もっと安くなる。でも今日は乗り物としてより生命力が強そうなJRの新快速にする。
外の音がほどんど入ってこないホテルの部屋がたまにはとても気持ちいい。時間からも場所からも誰からも解放される。そしてゆっくり自分の場所となっていく。イギリスに帰っても、日本に帰っても、帰った気がしない。どこにも家がない感覚が、気分によっては、どこもが我が家のような不思議な精神状態。そして、ホテルの部屋や空港に行くと催眠術から解けるようにふと我に戻ることがある。逃亡者のように昂揚して、今から向かう場所が「向かうべき場所」となぜか確信してしまう。何から逃げているかわからないまま、逃げつづける。死ぬまでこんなことがつづくのだろうか。
『世界の車窓から』という世界中の鉄道を見せる実質2分間もない旅番組を毎日欠かさず見ようとする母親の背中に、自分にも埋め込まれている何か、そして悲しい性を見る。やっぱりからだがうずく。あかん、どっか行きたい。
なんばHATCHでクラフトワークを観る。クラフトワークを観るのは多分10回目。そのうち多分4回コンピューターが壊れて幕を閉じている。♪なんとすばらしいコンピューターの世界!と唄う曲でコンピューターが狂っても、人間ロボットを演じる彼らは動じない。今回はノイズが入るくらいで大したトラブルもなかったけれど、前回からクリングクラング・スタジオを再現する舞台セットがラップトップの簡易セットになったはちょっと残念。でもラルフはいつものように手をこうやって口に添えて(わかる?)『電卓』を日本語でも唄ってくれる。20数年前にこの『電卓』の歌詞を書き、シングル盤のデザインもしたドイツに住む建築家の従兄弟は、ある日デュッセルドルフで彼らにギリシャ料理を振る舞われたそうな。それがどうも謝礼だったらしい。その頃日本では、従兄弟の母(僕の叔母)が来日公演に招待されて、「ドイツの人形劇を観てきた」とよろこび、僕はプロモーション用の黄色い電卓型のカセットテープをもらって大いによろこんだ。その後、『人間解体』再発盤の訳もさせてもらった。親類一同、長年の大ファンなんです。
それにしても、立って観ている方も腰が痛くなるほど長いライブを、老体ながらも立ちっぱなしで動かずに(クラフトワークは歩き回ったり踊ったり叫んだりしない)がんばれるのは、日ごろから大好きなサイクリングで鍛えているからだろうか。YMOの『テクノデリック』に入っていそうな楽しい新曲『心電図』や『ビタミン』は自転車への愛と健康への配慮にあふれ、たとえ自転車から車椅子に乗り換えることになったとしても人間ロボットはやめそうにない健在ぶりにひと安心する。クラフトワークはいろんな意味で現代に生きる伝統芸能。なのに、若者たちは「テクノポップ」というジャンルを聞いたことがあっても、クラフトワークをあんまり知らない。年を取るにつれ、歴史は大切なんだと痛感する。数十年前の偉業がすでに忘れ去られ、次世代には伝わっていない。まだ生きているし、自転車にも乗っているというのに。とりあえず、美大1年生の必修科目にしなければいけません。入試にも出題してもらわないといけません。
♪ボイン・ボンチャック!耳に余韻を残しながら、タイ料理をイメージしてトヨシマくん(a.k.a. HT画伯)と軽やかに心斎橋まで歩く。この夜、僕らはタイ風鉄板鍋を食べながら歴史の重要性を熱く語り合い、野菜を追加オーダーしながら、「暑くなる」はずのプロジェクト『8月のタイ』のすばらしさを予感する。
神戸で映画『10ミニッツオールダー・イデアの森』を観る。もう一本の『人生のメビウス』より地味ながら、最後の2本に驚きがあり面白かった。マイケル・ラドフォードのクレジットを見ると、おじいさんになってしまった息子(この映画を観てないと訳がわからない?)を演じたチャールズ・サイモンが撮影後に死んでいる。ラドフォードは『イル・ポスティーノ』でもクランクアップの翌日、主役のマッシモ・トロイージに心臓病で死なれている。そして、ゴダールがこの10分のフィルムにアルヴォ・ペルトの『鏡の中の鏡』をサントラとして選曲したことにびっくり。それも3曲目のチェロ・バージョン(3. spiegel im spiegelをクリックして試聴してちょんまげ)。映画『ヘヴン』でも使われていたし、『おもろい思い出』でも流れていた。ペルトは自分の音楽を白い光にたとえ、聴き手は白光を色分解するプリズムにたとえた。それぞれの映画でもそれぞれの色にキラキラ輝いていた。ペルトのことはビョークがいいよ!と教えてくれた。彼女はペルトにインタビューしにベルリンまで行ってた。坂本龍一さんはバルセロナのホテルで足湯をしながらこの曲を聴いてた。
僕も『おもろい思い出』という400枚の写真データ投影で参加させてもらった、graf media gmでのスライドショーシリーズvisions on the moveもとうとう最終回。今日は二日前に東京オペラシティーで初めて会った石川冒険青年の巻。先月、気球でアメリカに渡るはずが、初日に銚子沖に不時着して、パナマ船に助けられアメリカまで行ってきたあの石川青年。僕はひ弱なうえに天邪鬼らしいので「北極から南極」や「最高峰登頂」とかいったまっすぐなものには素直に共感できない体質であるものの、石川青年のまっすぐさに素直にカッコイイと憧れてしまう。写真もすばらしく、スライドショーではgrafが気圧まで下げてくれたのかくれてないのか、薄い空気がキィ-ンと張りつめた8000メートルの静かで眩しい世界に連れて行かれ、泣きそうになる。しかし、銚子沖への不時着ビデオを観る前にgrafを後にし、少年ナイフの待つ十三へ。
ギリギリまでスライドショーを観たので遅くなったことと南国のスコールのような大雨を言い訳にタクシーに飛び乗り、一気に下界へ降る。新十三大橋を初めて渡って、一緒に観に行くタイ人のタムくんとウィちゃんの待つ十三のネオンライトの街に吸い込まれる。四方から飛びこんでくるネオンライトが車のガラスについた雨で膨張しキラキラしてる。目眩く下界の極楽曼陀羅に口もかるく開いたまま。ライブでのオープニングの曲はもちろん♪コンニチハ!コンニチハ!Welcome to our show! We came from Osaka, Japan ! DVD『S.M.L.』(gmでの奈良美智展)と同じや。少年ナイフはロンドンで観て以来。少年ナイフはいつでもどこでも素晴らしい。あまりのうれしさに飛び跳ねる。graf から託ったDVDをなおこさんに渡し、バッヂとTシャツを買って、タイ人ふたりと博多ラーメンを食べに梅田に戻る。

